第55項!ミクロ経済学とマクロ経済学には異なる経済法則(市場原理)が働いている部分もあり、単純にミクロの総体がマクロとはならないと考えるのです -R86plusA-

こんにちは。R86plusAブログの時空です。今回はマクロ経済学についてのお話です。経済学。う〜ん。僕も経済学は思い入れのある学問です。

経済学といえば、まず思い浮かぶのがバランスつまり均衡理論ですね。需要が増えたら価格が上がる。供給が増えたら価格が下がる。という例のアレですね。

経済学にはマクロ経済学とミクロ経済学があるのですが、マクロ経済学のミクロ的基礎づけという分野がこのマクロ経済学とミクロ経済学という一見して「矛盾」した2つの学問領域を統合しようとしています。

結局、このミクロ的基礎付けも、市場の動きをシュミレーションしたいというのがモチベーションのようで、科学とは最終的に自然をシュミレーションした何かになるという「予測」の学問ということですね。

さて、今回はこのマクロ経済学とミクロ経済学の関係性についてですね。兄弟?と言う人がいたら、全然似ていない兄弟だよ、と返してみるのが良いのかもしれません。

まず、経済学とは何か。限りある地球の資源つまり金属や石油などを公平に分配しようというのが経済学の最大の目的です。

鉄や石油は限りある資源です。経済学では、すべての人が手に入れることができないもの、例えば空気や水はあらゆる人が手に持っていますが、水も砂漠地帯では貴重な数少ない資源となります。

このように珍しくて価値のあるものを経済学では希少性と言います。この希少な資源を多くの人に公平に分配するために市場というものが存在します。

市場では、貨幣つまりお金で物のやり取りがされています。マクロ経済学でお金をやり取りする代表的なプレイヤーは家計、企業、政府です。この3つのプレイヤーが市場経済が動く原因、つまり経済規模、雇用、物価、利子などの経済変数の動きを用います。

そして、インフレ、経済成長率、好不況などの経済全体に関わるものを研究するのがマクロ経済学の責務です。マクロ経済学では、政府によって経済に関わる政策、つまり経済政策を手段として、物価の動きや経済成長率などを安定させるのが目的とされています。

安定させるというのはバランスさせるということであり、極端に良くもなく、極端に悪くもない状態です。

例えば、経済成長率は、高ければ高いほど裕福な人が増えるから良いという考え方には、経済成長率が高いとインフレになり景気が加熱するから暮らしが不安定になると反論できます。

実際、経済が成長してインフレになると給料より先に物の価格、物価が高くなるので、生活が一時的に苦しくなる人も現れるでしょう。

このように、マクロ経済学では一国の経済と言った経済全体を取り扱います。一方、ミクロ経済学では、一つの家計や一つの企業のように個々のプレイヤーが分析の対象となります。

そして、市場としては一般均衡理論により、先程言ったように物が欲しい人が増える、つまり需要が増えると、物の価値が上がり、物が欲しい人が減ると、つまり需要が減ると、物の価値が下がります。

このように、ミクロ経済学を個の学問、マクロ経済学を全体の学問とすると、経済学はミクロ経済学とマクロ経済学に分かれます。その場合、ミクロ経済学、つまり個々のプレイヤーを全体としてみる、つまりマクロ経済学として見る方法を還元論と言います。一つ一つを足していくと全体として見ることができるという考え方です。

あるいは、マクロ経済学はマクロ経済学、ミクロ経済学はミクロ経済学、としてそれぞれを別々に扱う非還元論があります。この主張の根拠として、例えば合成の誤謬(ごうせいのごびゅう)があります。

合成の誤謬というと、個の働きと全体の働きが異なる経済現象を指します。例えば、個人が貯金を頑張れば、貯金額は増えるかもしれませんが、全体として貯金をする人ばかりになると消費が減り、給料が減り、結局、貯金額が増えなくなるのです。

つまり、ミクロ経済学とマクロ経済学には異なる経済法則(市場原理)が働いている部分もあり、単純にミクロの総体がマクロとはならないと考えるのです。僕もミクロ経済学とマクロ経済学には異なるメカニズムが含まれる部分があり、単純にミクロ経済学のプレイヤーを足した動きがマクロ経済学の全体の動きになるとは考えていません。

ホタルノヒカリです。この前投下した生理学に関する記事を見てもらった読者さんは知っているかもしれませんが、個の集まりとして全体を見るという考え方は経済学にもあるように科学での一般的な考え方なのかもしれません。普通に考えてみれば、個々の脳細胞の動きと全体としての脳の働きが異なるのは誰にとっても明白な事実であると思います。

その上で、生理学が統合の学問と言われるように、ミクロ経済学とマクロ経済学も統合したいというのが、経済学の悲願でもあるように思います。マクロ経済学のミクロ的基礎付という現代の経済学の課題はこのような問題意識から発せられたものであります。

今回の記事の反省点として説明することに重点を置きすぎてユーモアが足りませんでした。少し反省しています。その上で、次回の課題にも上手く対応したいと思います。この記事を読んでくれた皆さんには感謝します。今日が良い一日でありますように。ではでは。

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