第78項!僕自身はどちらかと言うと、最初に結果という前提があって、その上で過程として何をしたかを評価します、つまり、結果を優先させるということです -R86plusA- 

こんにちは。R86plusAブログの時空です。今回のテーマは「過程か結果か」です。生物学の遺伝か環境かというテーマに似ていると思います。過程とは結果が出るまでの道のりを意味します。アウチ、鼻毛をピンセットで抜いたら痛いよ〜。

結果は過程の後の点数です。ピンセットで抜くより鼻毛用のカットばさみで切ったほうが断然良かった。120点!! 
・日本は過程を重視して、欧米は結果を重視するなんて、ステレオタイプも有名です。 
・少年の時から努力というものを一切しない男 
・今までしてこなかった勉強を死に物狂いで始めました 
・努力という過程の重要性に気づいた瞬間だった 
・最初に結果があって、かつ過程があればいい 
・数字という結果が全て 
僕は、日々努力を怠らないように一日3時間の勉強をすることを義務付けています。一日3時間の勉強を1年続ければトータルで1000時間となり、そこそこの資格試験にも合格できる勉強量です。 
 さて、ここでテーマとしているのは、この資格試験に落ちた場合、アナタは自分を評価するかどうか、ということです。評価するなら過程を重視していることになります。電車博士号をゲットしたかったのにワンちゃん博士号を取ってしまった。ここで一杯。うぃ。
試験に落ちたといえ勉強して知識を得たのは事実なので、試験勉強をしなかった時より格段とレベルアップしていると言えます。過程を重視すると、このような経験値も評価の中に入ります。
 一方、結果を重視するなら、テストに落ちたという事実のみを見ます。結局、1年間勉強して目当ての試験に合格できなかったのなら意味がなかったと判断します。資格がなければ就けない職業ならなおさらです。もう一年勉強することになります。
うぎゃー!!落第だ。後輩と同じ教室に机を並べなければならないなんて一生の恥だ。
日本は過程を重視して、欧米は結果を重視するというステレオタイプは昔から有名です。僕自身はどちらかと言うと、最初に結果という前提があって、その上で過程として何をしたかを評価します。つまり、結果を優先させるということです。 
ブログ主は少年時代から努力ということを全然しない男でした。何より人生で有利に生きていくためには努力で積み上げていく能力が大事だということは今であれば分かります。
しかし、ある時から今までしてこなかった努力を死物狂いで始めるようになりました。きっかけはドラマのドラゴン桜を見てのことですが、当時は僕も死ぬ気で勉強すれば東大に行けるのではないかと思い違いをしてしまったのです。 
幸い、東大には合格できませんでしたが、大学に入学してからも勉強を積み重ね、先程も述べたように一日3時間の勉強を習慣にすることができるようになりました。大学も無事卒業することが出来て、ブログ主が初めて努力の偉大さに気づいた瞬間でした。
その数年の勉強でこれだけ状況が変化するなら大人になってからも勉強し続けたらどうなるのだろうとワクワクしたのを覚えてます。最初に結果があって過程もあればなお良い、というのは、結果が何より一番大事ということを意味します。
その結果に至るまでの過程は、複数の道のりがあったはずです。僕はこの記事を書いているのでブログをしていることになります。現在が100記事ほどなので過程としてはそれなりの数をこなしていることになります。
しかし、当ブログを見てくれる視聴者数が増えることが結果であり、視聴者という結果の次に100記事という過程がついてきます。4代前の前世ではこの100記事あたりからブログの投稿が失速してしまった。僕へ、予断を許すな。
 僕は決して結果としての数字が全てとは言いません。数字も大事ですが、数字を取るための手段、つまり法律を守っているか、誰かを不快な気分にさせることはなかったか、ということも大事であると言えます。結論はそういうことだと僕は思います。
皆さんはどう思いますか。ではでは。

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