こんにちは。R86plusAブログの時空です。
昔から僕はデジャブを感じることがあります。日本語で言えば既視感と訳せますが、デジャブとは初めての景色なのに以前そこで同じ景色を見たことがある、と感じることです。あるいは、初めてすることなのに以前どこかで同じ体験をしたことがある、というように使います。
もしかしたら記憶の奥底に沈んだ昔の記憶と重なる部分があって直感がそれを体験済みと判断するから、そのように感じるのかもしれません。僕は姿や形を変えても本質的には同じであることはたくさんあり、似たような景色というのも案外色々なところで出くわしているので、デジャブを感じると解釈することが出来ます。
何かの資料に書いてあったのですが、過去の自分と今の自分を別の人間として扱うという考え方もあるようです。また、そのことについては僕なりに調べておきますが、デジャブはむしろ逆に、過去の自分と現在の自分の、共通点を見つけていることだと思います。
もちろん、過去と現在が時間的に離れていればいるほど、同じ状況というのは実現しにくいので、昔の自分と同一化できる時差での話と言えます。デジャブを感じるということはその場面が特徴的に同じであり、直感が優れている、つまり理性より直感優位であるときに現れやすいのかもしれません。
僕は、ここ2,3年どこに行っても既視感に見舞われ、本当にここ数ヶ月はパッタリと止んでいました。僕にとっての直近2,3年は僕の人生の中でもジェットコースターで、今まで論理的に頭で考えて行動していましたが、直感的に感じたまま見たまま思ったままに行動するように変化しました。
理性と論理で生きていたときは他の人々と同様に常識にしばられて生きていましたが、直感的に生きると自転車で綱渡りをしている、あるいは断崖絶壁を歩んでいる感覚です。
しかし、直感に従うまま行動すると結果的に天井をつかむような結果になることが増えました。僕も直感で思ったからと言って法律を破るようなことはしないように注意していますが、直感優位で補助に理性を使うくらいが今までで一番生きやすいことに気づいたのです。
もちろん、そのためにはハードルがあって、どこまで自分を信じられるかが鍵になります。さらに、いわゆる普通の人生を生きるようでは無くなってきます。
それでも強運と言えるほどの判断を下せるようになりたければファーストチェス理論です。チェスのプレイヤーは盤面を見たら一瞬で次に打つ手を読めますが、長考してもその手以上に良い手はあまり思いつかないようです。ファーストペンギンならぬファーストチェス。
みなさんもぜひ直感の声に耳を傾けてください。理性の補助で直感を使うくらいが皆さんにとっては安心なはずです。今日も良い一日を。ではでは。
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