こんにちは。Inishie Once-in-a-Lifetime Chanceブログのいにしえ時渡です。当リライト前記事は、秒針一行法という一秒につき一行読む方法について触れています。以下、リライト前記事。
秒針一行法は、時計をセットして時計の秒針がカチッと一秒を刻む間に一行読む方法です。僕は、読んだ内容が記憶に定着する割合は時間を掛けただけ増えると感じています。
サーと流し読みするより紙に書いて覚えたほうが記憶に定着するのは明らかです。その上で、僕の一番コスパが良い読み方は、指で文字をなぞりながら、ブツブツと声に出して読み、さらに目に焼き付ける方法です。それに加えて、さらにラインマーカーで線を引くことで頭の中で文章をまとめやすくします。
これだけだと端から見てると少しおかしい人ですが、効果は抜群で一度読んで線を引いただけで、まとめとして、読んだ内容をメモ帳にまとめることができます。
今フッと思ったのですが、何だか、この話を進めると、ものすごく深い話になりそうで正直怖いです。これは、僕の勉強論の本質に関わることだからです。
もちろん、ブツブツ読みながら目に焼き付けて指で文章を追うだけでなく、潔くノートに書き写すだけというシンプルな方法を取ることもあります。これは一長一短で、どちらが優れているというわけではなく、好みの問題です。
おそらく、僕が秒針一行法を唱えていた4年半前は、シンプルに目に焼き付けるように一文字一文字じっくり読む方法が現役でしたが、4年半という歳月は僕に新しい読み方を編み出させることに成功しました。
僕の新しい指でなぞる読み方は最初の部分が難しい日本の教科書を読むうえで、詰まること無くスムーズに内容を読み進めるために重宝すべき読み方であることは言うまでもありません。
当リライト前の記事では、僕が10年続けて辞めた瞑想の話も書かれています。僕は瞑想をすることで超人的な集中力を手に入れましたが、少し具合が悪くなり瞑想することを引退しました。もう何年も前の話です。
そういう意味では、学生時代から続けてきた勉強と筋トレと瞑想のうち、未だに現役で続いているのは勉強のみです。筋トレも最近ではあまりしなくなりました。
勉強はそろそろ本格的に始めてから16年になります。長いようで長い16年でした。ここで再び一秒一行法の話に戻るのですが、やはり早く読めればイイというわけではありません。
僕は基本的に勉強と称してビジネス書と専門書を読むのですが、ビジネス書はサクサク読めますが、専門書はゆっくりしか読み進められないのです。
ビジネス書のような簡単な内容であれば、もちろん速読でもイイのですが、専門書となると理解していないことには、その専門書は宝の持ち腐れとなってしまいます。
そこで僕は理解度と記憶の定着度を優先して、指でなぞりながら目に焼き付けてブツブツ読む方法と、シンプルにノートに書き写す方法を使い分けています。
時代の流れとは恐ろしいもので、この二つの方法があれば、どんな専門書でもスムーズに読み進められるのではないか、と確信しています。
勉強と言っても色々な方法があります。僕のように文章を読むことが勉強という人がいれば、先生などに直接教わるのが勉強という人もいます。中には一を聞いて十を知るを自給自足して勉強している人もいます。
そういう意味では、僕は誰からも直接教えを乞うこと無く、独学で今まで学んできました。初めて学ぶ分野の専門書は考古学のように頭の中で筋道立てて理解してきたのです。それが研究における察しの良さに結びついているのかもしれません。
はじめての分野でも少し学んだだけで、学んだ以上の多くを察することができるようになったのです。僕から言わせれば、勉強とは難しい専門書をヒィヒィ言いながら少しずつ読み進めていくことで、決して先生から要点だけを楽に学ぶことではありません。
研究という活動でも独学力というのは非常に重要で、歴史に名を残したような人達は揃いも揃って独学の達人でした。何より先生に教えてもらうことは応用力が身につきにくいです。
少し問題の性質が違っただけで、苦労して学んできたということがないから対応できなくなってしまうのです。そういう意味では、必死に専門書にかじりついて学んできた人達はより本質に近い部分が分かっていることだと思います。
僕も勉強を独学で16年してきましたが、仮にメンターと言える先生がいれば、16年とは言わずその半分の8年で今のレベルにいたかもしれません。しかし、その場合、臨機応変に対応するという実践力は今ほど身につかなかったことでしょう。
毎回違う分野を勉強するなら、毎回その分野の先生を探さなければなりません。自分で学ぶスキルがないから他の分野の学習で応用できなくなるのです。
独学とは僕は自分なりのテクニックを作っていくことだと思います。現在、僕の主流の二つの読み方も多くの経験を得たからこそ編み出せた方法です。
全て自給する必要はありません。ある程度は先人が知識として対処方法を残しているからです。そこから一歩進んで自分の武器を持つ時、自分なりに試行錯誤した経験がなければ中々実践力は身につきません。いわば修羅場をくぐったかどうかです。
本当に難解な有名な専門書を誰の助けも借りず読み進める。そこに本当の研究力が備わるのだと思います。僕も論文はいまだに読めませんが、こういった経験が論文を読む時、いちいち先生に聞かなくても分かるということだと思います。
僕も近いうちに数学の難解な論文を読み進める実力が身に付くことだと思います。独学とはそこに至るまでの回り道であり、最短の近道でもあるのです。
話は戻りますが、秒針一行法は4年半後の現時点から見れば、あまり有効な勉強方法ではありません。早く読めるということは何かを犠牲にしているからなのです。
読むスピードがゆっくりでも、ちゃんと記憶に定着して内容を理解している。ここに勉強の本質があるのではないでしょうか。以上です。また会おう。ではでは。
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