こんにちは。「Inishie R plusA 86」ブログのいにしえリョウタです。今回は、僕が現在勉強している法学のリポート記事です。法学というと、基本的な法律の考え方をまとめた法律の入門書というイメージがあります。
さて、法律を取り扱うには、リーガルマインドと呼ばれる法律の基本的な考え方が必要ですが、リーガルマインドとは、対立する争い事を論理的に公平に広い視野で調整するための総合的判断力のことを言います。大学での教育の目的の一つは、このリーガルマインドを育てることにあります。
社会生活において守るべき規範を「社会規範」と言います。聖書が書かれた、昔であれば、社会規範とは、法と宗教と道徳の混ざりあったものでした。様々な宗教の聖典とは、言わば社会で生きるうえでの処世術であり、守るべき規範であったのです。社会が成熟するにつれ、法と宗教と道徳は、それぞれの立場に分かれて、発達してきました。
法は、人間の行いを問題とする行為規範です。道徳は人間の内面的価値を書き綴った内心の規範と言えます。法は人間の外側に現れる行為を処罰の対象としますが、一転して「罪を犯す意思がない行為は、罰しない」として内心で犯罪をしているという自覚がない行為は罰しないとされます。これは刑法38条で規定されている条文です。
法は人間の行為を罰するという抑止力を持ちますが、道徳も法とは違う強力な強制力が認められます。法と宗教と道徳が分かれて専門化してきたところに現代の法の特殊な事情が伺えます。
ここまでの勉強で、僕は久しぶりに法学の教科書を開いたのですが、昔は法律の教科書を読むだけでも壁にぶち当たっては乗り越えて、すぐまた別の壁にぶちあたっては、を繰り返して、なかなか読み進めないクセのある学問という印象がありました。しかし、今回久しぶりに法学の教科書を開いて感じたのはスラスラ読み進めることができるということです。
僕は教科書に線を引くことがあります。線を引くことが無意味だという人もいるでしょう。線を引いても直ぐに忘れてしまう、と。しかし、線を引くことで、大事な部分を洗い出し、その学問の内容をシンプルに頭の中でまとめることができるという点に線を引くことの意義があります。もう一度読み返すときも、線を引いた部分を読み返すだけで、手っ取り早く記憶を呼び起こすことができるのです。
今回、僕は線を引くのではなく、大事な部分だけノートに書き写すことをしました。そうすることで、教科書が線を引いて汚れることがなく、大事な部分だけノートにまとめられて良かったと思います。大事な部分だけノートに書き写すのもいいですが、何ならブログなどに学んだ内容を自分の言葉で書き出すことで、記憶への定着と、内容の理解度が、飛躍的に伸びると感じました。
物理学や数学の難しい教科書もそうですが、参考書を読むと同時にノートにまとめて書き出していくことで勉強がはるかにコスパの高いものとなり得るのです。僕も先程述べたようにリーガルマインドを養いつつ、法律系の資格取得にチャレンジしてみたいです。その一歩として、学んだことを書き出して自分の言葉にまとめるという方法は勉強効果を飛躍的に高めるという点でとても有効な方法であると僕は考えています。
ブログにまとめると自分はどの点が良く分かっていないのかが実感できます。終わりなき社会勉強の中でいかに効率よく勉強するかは重要な要素であると言えます。もし、僕の勉強法に関心があるのであれば、ぜひ一度お試しください。きっと時間は無駄にならないですよ。ではでは。
参考書:森泉章著『法学』有斐閣ブックス、第4版
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