第76項!今、自由と不自由、責任と無責任、権利と義務、という3つのキーワードがあったとします、これらの3つのキーワードはどのような関係があると思いますか -R86plusA-

こんにちは。R86plusAブログの時空です。

今回は対となる語句を3種類使って、その特徴について迫っていきたいです。今、自由と不自由、責任と無責任、権利と義務、という3つのキーワードがあったとします。これらの3つのキーワードはどのような関係があると思いますか。

 
自由と責任と権利というと僕たちにとって価値の高いものに思えます。一方、不自由と無責任と義務というと、肩身の狭い抑圧されたものに感じます。しかし、これを時間と仕事とお金という基準から並べ直してみると、次のような面白い分類ができます。 
 
自由な時間とは休暇を意味します。つまり、仕事のない時間です。この時間帯に僕たちはお金を使います。逆に、不自由と言うと自分の時間を管理されている時間です。つまり、不自由な時間は仕事をする時間です。僕たちはこの時間にお金を得ています。 
 
次に、責任と無責任についてです。責任ある時間とはパブリックな、仕事の時間を意味します。仕事上の責任がつきまとい、仕事上で会社のお金を使います。
 
逆に、無責任な時間とはプライベートな、仕事をしていない時間です。プライベートな時間にはプライベートなりの責任を伴いますが、仕事上の責任は企業の社員であること以外ではほとんどありません。
 
責任ある時間では会社のお金を使いましたが、無責任な時間では自分自身である個人のお金を使います。つまり、責任があってもなくても、ある一面から見ると両方お金を使うことになります。 
 
最後に、権利と義務についてです。権利は働けなくても生存する権利があります。あるいは、行政のサービスを受けたり、株主であれば議決権も権利の一つです。ここでは一応サービスを受ける権利くらいに考えておけばいいと思います。
 
お金は得るか使うかはケースバイケースです。逆に、義務は勤労の義務や納税の義務など国民の義務を想像してみたいと思います。国民の義務は仕事をすることをススメます。お金を使うか得るかはケースバイケースと言えます。 
 
ここまでは僕の価値観が多分に含まれており、多少なりとも僕の偏見つまりバイアスが掛かっています。この3つの要素、自由と不自由、責任と無責任、権利と義務は、人々にとって前者の価値観つまり自由と責任と権利が高い価値を持つと見られがちなはずですが、仕事という視点から見ると、不自由と責任と義務という分類も可能であることがわかります。 
 
このことについてはもう少し深掘りしてみるのが面白いかもしれませんね。加えて、ここまでの話は僕の価値観がだいぶ含まれているので、例えば、不自由と無責任と義務に高い価値を見出す人もいる可能性はあります。
 
今回はここまで。ではでは。(*これらの関係を数式を用いて表現してみたいと思います)

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