こんにちは。R86plusAブログの時空です。今日は姉妹サイトの清藤士塾からリライト記事を書きたいと思います。文章を書くということはブログを作成するための一番大事なスキルと言えます。僕は、文章を書くことが普通の人と比べて多いか少ないかは良くわかりません。
デスクワークをしている一般社員のような人なら資料作成のスキルが必要となるはずです。一方、ブログの文章能力はシンプルにグラフや図に頼らず、相手の頭に鮮明にイメージが浮かぶ文章を書くことが求められているのでは無いでしょうか。
僕は言いたいです。文章で世界を構築してくれ、と。小説なんかは文章で世界を構築する一例ですね。僕もこの前、小説と言って、ポエムをしたためてみたのですが、後から考えたら恥ずかしくてブログにのせていいか迷っています。
しかし、僕は男の中の男なので、この165本目の記事の次つまり166本目の記事に修正した小説風ポエムを盛り付けてみたいと思います。決して、フレンチや中華のような伝統ある料理でなく、スイカ団子やしょうゆステーキのような斬新な小説風ポエムを紹介したいと思います。
ここまでは特に文章の話を何の脈絡もなく、話してみたのですが、本題の「文章は思いやりによってできている」です。
僕はブログに載っているような文章は、誰かのためを思って書いた文章であると思います。はるか宇宙の先の宇宙人に向けてブログで連絡を試みているようなオカルトマニアも一定数いるでしょうが、何より自分と同じ言語を扱う人用に文章を書いている人がほとんどなのではないかと思います。
それは僕にとって好都合です。同じ言語圏の人としかブログのやり取りができないのであれば、確実に日本語ネイティブで海外に発信しているライバルが減るからです。このようにブログの文章のようなものは誰かを対象にして、誰かに読んでもらおうと書いてあります。
ブログなんて高校生でもできるよ、青春の1ページだね、とも言えますが、全高校生がブログをやりだしたとしても多くの読者を得られるのは突き抜けた一部の人だけだと思います。
必死に小学生の頃から何かをしてきた高校生のブログは読んで見る価値があるだろうし、何より斬新な価値観で人を引き寄せます。何事もそうですが、突き抜けて何かをしたという経験はその後も生きてきます。
今どきの高校生はブログなんかよりユーチューブやtiktokなのかもしれませんが、何事も本質は同じです。突き抜けた人が目立つ。それが人間社会の理なのです。
僕も今一度これからの3年間で突き抜けたいです。その先に、僕が3年間ブログを書き続けることができるのならば、そのコンテンツは相手の読者さんへの思いやりということになります。僕の思いやりがいつまで続くのか、乞うご期待!ではでは。
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